◯帯解寺◯
弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。帯解の名称はここから始まりました。
◯春日大社◯
今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く茨城県鹿島から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して千葉県香取から経津主命(ふつぬしのみこと)様、また大阪府枚岡から天児屋根命(あめのこやねのみこと)様・比売神(ひめがみ)様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが始まりです。
◯東大寺◯
奈良時代は華やかな時代であると同時に、政変・かんばつ・飢饉・凶作・大地震・天然痘の大流行などが相次ぎ、惨憺たる時代であった。このような混乱の中、神亀元年(724)二月、聖武天皇が24歳で即位し、待ちのぞんでいた皇太子基親王が神亀四年(727)10月5日に誕生する。ところが、神亀五年(728)9月13日、基親王は一歳の誕生日を迎えずして夭折する。聖武帝は、すぐに親王の菩提を追修するため金鍾山寺を建立(同年11月)し、良弁(のちの東大寺初代別当)を筆頭に智行僧九人を住持させた。天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。
講習日数 | 1日間 |
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最小催行受講者数 | 6名 |
交通機関の種類 | 往路:バス 復路:バス |
食事回数 | 朝食:0回 昼食:1回 夕食:0回 |
その他 |
< 2019年8月 > | ||||||
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
29 | 30 | 31 | 1 | 2 | 3 | 4 ◎ 講習決定 9,990円 |
5 | 6 | 7 | 8 △ 講習決定 9,990円 |
9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 ○
9,990円 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 ○
9,990円 |
30 | 31 | 1 |
受講者数情報のご案内
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